2014年から今年までの4年間の会長任期中,学会運営において様々な方にご協力いただいたことを,まず最初にお礼申し上げます。とりわけ,この間,事務局を担当していただいた東北大学の片岡龍先生と大阪大学の宇野田尚哉先生には,学会事務の合理化のためにご尽力していただき,改めて感謝を申し上げたいと思います。
私の在任期間は,世代の変わり目にあたっていました。一世代の活動期はだいたい30年だとすれば,私は,1968年の学会設立時の第一世代の先生たちから直接教えを受けた第二世代にあたります。しかも,その最後尾にいると考えています。在任期間の4年間は,ちょうど私のような第二世代から第三世代への過渡期にあたっていました。今では,私が謦咳に接することができた第一世代の先生たちは,第三世代の方々にとっては,すでに伝説の領域に属し,歴史的な研究対象となっています。
このような時期に,私の役割は,第二世代と第三世代の橋渡しをすることだと考えていました。そのため,就任挨拶のニューズレターの中で,「現在,本学会は,世代交代の転換期を迎えています。近年,若い世代の研究者が台頭して,刺激的な提言もなされています。これまでの本学会の強みを生かしながら,次の世代につなげて行くことが,私の責務だと考えています」と述べました。
学会設立50周年記念の大会は,大会委員長の高橋文博先生をはじめとする大会委員のメンバーによって,二年連続のシンポジウムという意欲的な試みがなされました。その成果は,記念論文集として刊行される予定です。また,学会が協力して,丸善出版から『日本思想史事典』が刊行されることになっています。現在,多少の遅れはあるものの,着々と刊行作業が進められています。とくに事項原稿では,第三世代の多くの方々の力作を得ることができました。これによって,第二世代が中心となった,ぺりかん社版の『日本思想史辞典』とは一味違った,素晴らしい事典になりそうです。さらに若い第三世代の「思想史の対話」研究会も,任期中,4回ほど開催され,近くその成果が活字化されることになっています。
こうした第三世代の会員諸氏によって,ますます学会がより開かれた活力のある場となることを強く期待して,退任の挨拶に代えたいと思います。
日本思想史学会が設立されたのは1968年11月17日。東北大学で開かれた発会総会においてでした。今年でちょうど50周年を迎え,大会シンポジウムや『日本思想史事典』の刊行など記念事業が進められていることは,みなさまご存知のとおりです。
発会のようすを伝える『日本思想史学』創刊号(1969年9月発行)をひもといてみました。巻末に会員名簿が載っており,当時の会員は102名。ご健在の方々のお名前も見えます。現在ではその数は約5倍にふえ,大学院生や海外出身の会員の占める割合も大きくなりました。研究手法や問題意識の変遷も考えに入れれば,50年間でまったく異なる集団に変わったと呼ぶことすらできるでしょう。
石田一良初代会長が執筆された「発刊の辞」にはこうあります。「もとより,日本思想史学会は,その前身同様,日本思想史の純粋に学問的な研究とその発達を目的とするものです」。「前身」とはその前に4年間続いた「日本思想史研究会」のこと。執筆当時,全国の大学が学園紛争のまっただなかにあったことを考えれば,「純粋に学問的な」という表現の意味するところは重いでしょう。
もちろん,およそ知性の営みが政治的・社会的な見解の表明とまったく無縁だということはありえません。しかし,いかなる立場・いかなる方法をとる研究者も,学問の枠組を共有しながら,自由に対話し議論すること。その価値は50年をへたいまも減じるものではありませんし,今後も継続させなくてはいけないでしょう。そのための場所として日本思想史学会の活動が充実したもの,開かれたものになるように,ささやかながら努力したいと思います。みなさまのご理解とご協力を,切にお願い申しあげます。
この度,2018年度の日本思想史学会大会を神戸大学の六甲台地区キャンパスにて,成功裡に終えることができました。「対立と調和」という総合テーマによって新たな「日本思想史」を模索する大会に学ぶ一方,諸学問分野の対話・交流を深める場としての役割に貢献できことと自負しております。ご登壇,ご参加いただいた皆様方に改めて感謝もうしあげます。
開催にあたっては諸事懸念もありました。学会シーズンとはいえ,昨今の大学事情からは辛い10月の第2週の開催とせざるをえなかったこと,特に当方のキャンパスは眺めは抜群ながら,基幹の交通機関から遠く,加えて9-10月開催の学会を襲う台風列島事情等々です。しかし,当日はお天気にも恵まれ,初日の大会シンポジウム参加者は139人,懇親会参加者も予想外の78人と例年並みの規模となりました。シンポジウムのそれぞれ充実したご報告や討論をはじめ,2日目の個別報告・パネルでも熱心な議論が展開しましたこと,開催校として喜びにたえません。
思想史学会の年次大会には,個人的なことではシンポジウム大会実行委員長(2015-16年度)を経験させていただいき,シンポジウムの組み方や招聘のあり方・事前研究会の持ち方など主に内容に関わる議論に参加させていただいておりました。加えて個別報告やパネルについては会員資格の確認のあり方など実務的な問題も浮上し,大会全体の持ち方を検討すべき段階にあったかと存じます。これらは今後さらに原則を確認していく必要があるかと思います。他方で,昨今の日本の大学の人文社会科学をめぐる状況は厳しさを増し,国立大学でいえば,独法化以前に備わっていた様々な人的経済的基盤を前提とできない状況ももはや明らかです。実際,多くの大学は土日の大学施設の外部「活用」を常態化させ,あるいは人員確保という点でも,昨今の大学院生を取り巻く環境の変化に考慮する必要がある等々―枚挙にいとまがありません。
今回の開催にあたっては,改めまして例年の大会開催校のご経験や工夫に学ぶことで乗り切った側面が多くありました。大会の運用の具体的な場面で従来の踏襲されてきたやり方を変える選択もせざるをえませんでした。今後も特に事務レベルの簡素化は進めていく必要があると存じます。会員の皆様方とご理解をお願いするとともに,しかし学会大会はやはり,知的な刺激と開かれた議論,研究の水準をどのように高め共有していくか,その魅力的な内容の発信が真髄かと思います。学問研究を取り巻く状況が厳しさを増す昨今であるからこそ逆に,学会大会の意義や魅力がこれまで以上に求められ,あるいは発揮されますこと願ってやみません。
大会初日に,日本思想史学会創立50周年記念シンポジウムの第2弾として「日本思想史学の現在と未来」が行われた。昨年の第1弾が個別テーマに絞った議論であったのに対して,今年は各論者が自らの研究視点から,古代・中世・近世・近代という時代区分を超え,今後の日本思想史の方向性を切り拓いていこうとするものであった。この時代区分が研究対象や,歴史を語るときの思考を時代ごとに限定し,研究者たちを大きく隔ててきたこと,それを脱構築し,歴史を描き直すことが長きにわたって課題とされてきたことは自明のことであろう。私が幹事を務めている「思想史の対話」研究会でも,2017年に「日本思想史研究の現在を捉える―時代区分を超えて―」というテーマで各時代の研究者からの発題いただく企画を開催したこともあって,学会シンポジウムでは,どのような議論が展開されるのか,期待しながら拝聴した。
この日の議論は大きく分けて,@時代区分によって隔てられている時代像の脱構築を試みるものと,A具体的な事例に基づき時代区分を超えた歴史叙述を試みるものの2つに分けることができるように思う。松田報告は前者にあたるもので,「封建社会」「近世化」「発展段階」などをキーワードとして,時代区分が固定的な世界像を想起させるものであることが示された。冨樫報告,ョ住報告は後者にあたる。冨樫報告では行基像の変容に焦点を据えることで,古代中世をまたぐ歴史像が,ョ住報告では曹洞宗の宗統復古運動における道元の議論の再解釈に注目しながら,そこに見える時間論の変容を明らかにすることで,中世近世をまたぐ歴史像が示された。
こうした議論を聞きながら,ある限られた時期を同質化して歴史を叙述することの背景には研究者のナラティヴが多分に含まれていること,こうした固着した時代像を解体していく方法として,個別のテーマを取り上げ,そこにみられる思想の変化から論じ直すという叙述の可能性について考えた。その中で,“時代区分を超える”という試みの困難さを痛感した。まず,こうした試み自体が,実は時代区分を強化してしまっているのではないかと考えた。つまり,時代区分を超えようとする時,ある時代からある時代への移行期に注目し,そこに起こる何らかの変化を論じるという方法が取られがちであるが,このことは,確かに時代を架橋する視点を提供してはいるが,結局は2つの時代の異質性を論じることにもなるのではないか。かといって,時代区分がある歴史の見方を規定している以上,その枠組を外した歴史叙述は,固有の立場を持たない歴史叙述ということになる。(実現可能かどうかは置いておいて)それにはどのような意味があるのだろうか。時代区分を超えた歴史叙述。この脱構築の先に私たちは何を見通すことができるのだろうか―。
このように考えをめぐらしながら,“歴史を叙述する”という根本的な問題に改めて向き合う機会となった。
第12回日本思想史学会奨励賞は,例年通り,ニューズレターおよびホームページを通じて公募を行い,応募は単行本著作3点であった。それに学会誌『日本思想史学』第49号掲載論文で資格規定を満たした論文のなかから,同誌編集委員長の推薦になる論文3点を加え,合計6点を対象に選考を行った。
選考委員全員で慎重に審査を行った結果,全会一致で,上記著作への授賞が決定した。
本書は斬新な視点によって,「道徳文化史」という日本思想史の新しい領域を切り拓こうとした挑戦的な作品である。著者は,これまでの日本道徳史の研究は,人々がどのような徳目をいかに考えたかを追求する思想史系の研究と,人々がどのような徳目をいかに実践したかを追求する社会史系の研究という二つの類型があったと総括し,この思想論と実践論に加えて,新たに表象文化論の道徳史,「道徳文化史」を提唱する。本書ではこうした表象文化論の視点から親孝行の「孝子」という表象を取り上げている。これまでの研究では,孝子顕彰は社会秩序を維持しようとする道徳「教化」説として片付けられてきたが,「孝子」を表象として捉えることによって,「孝子」がどのような場面で,いかなるメディアによって,誰に向けて,何のために創作されてきたのかを明らかにできると唱えて,従来の「教化」説では見えてこなかった,新しい領域に光を当てたことは,大いに評価できる。
本書のメリットは,こうした方法的な斬新さとともに,「孝子」の事例を広汎に収集し,地に足の着いた実証的な研究でもある点にある。その具体的成果として,近世中期に民衆の側に「孝子」を由緒としてとらえる意識が存在したこと,孝子顕彰が武士・公家・文人たちの「志」を文芸的に表す自己表象の「場」としての意義をもち,そこに文芸的なネットワークが成立していたこと,18世紀後半に藩国家が「明君・仁政」を物語る表象として「孝子伝集」を競争的に編纂したこと,寛政の改革の一環として編纂された『官刻孝義録』が,藩国家の「明君・仁政」言説を包括する幕府自身の「明君・仁政」イメージを主張する自己表象であったことなどを,きわめて明晰に論証している。
ここで提唱された道徳文化史の今後の発展に大いなる期待を込めて,本書が日本思想史学会奨励賞として相応しい書物であると判定された。
本論文は,清聖諭の受容に視点を据えつつ,近世日本の庶民教化を東アジア世界の文脈において捉え直すことを意図した,きわめて意欲的な論文である。
著者は,明聖諭(いわゆる「六諭」)の受容に比べて研究が手薄な清聖諭の受容に着目し,先行研究からさらに一歩踏み込んで,その民間レベルにおける受容の解明なくして近世日本の庶民教化を東アジア世界の文脈に位置づけることは不可能であると指摘する。そのうえで,寛政期以後の美作や大和などの地方における庶民教化の現場に注目し,近世日本における清聖諭の伝播を立体的に明らかにしようとするのである。
その際,著者が具体的に取り上げるのは,寛政期の「名代官」として知られる早川正紀が版行し自らの設けた教諭所などにおいて庶民教化に用いたテキスト『久世条教』と,早川の影響を受けた代官池田仙九郎が同じように版行し用いたテキスト『五條施教』である。著者は,これらのテキストが,『聖諭広訓』を踏まえながらも,それぞれの課題に応じて力点の置き方を異にしていることを明らかにする。「孝」を重視する『聖諭広訓』に対し,『久世条教』は勧農や堕胎・間引きの禁止に,『五條施教』は公事訴訟の抑制に力点を置いていたとする著者の分析はきわめて着実であり説得的である。このような分析を通じて,本論文においては,東アジアの庶民教化文化とでも呼ぶべきものが,中国と日本における連続性と差異についての実証的解明をともないながら,素描されているといえる。
寛政期という時期の特徴についての考察が不足しているように思われる点,著者の観点が教化する側に偏っていて教化された側の実態に十分に迫ることができていないように感じられる点など,難点を挙げることができないわけではないが,一本の論文としては十分な学術的成果を挙げており,いま指摘したような難点の克服も含め,将来における豊かな可能性を感じさせる論文である。
以上の通り,東アジアを視野に収めた将来の研究の展開への期待を込めて,本論文が日本思想史学会奨励賞にふさわしい業績であると判定された。
この度,第12回日本思想史学会奨励賞に拙著を選んでいただき,誠にありがとうございました。個人としてもちろん嬉しいかぎりですが,それよりも,執筆作業を支えてくださった方々の努力が水の泡にならず,こうした形で実ったことに本当にほっとしております。特に,本著のもととなった博士論文の指導教員の辻本雅史先生と,編集を担当してくださったぺりかん社の藤田啓介様には大変お世話になりました。
しかし,受賞して嬉しいとはいえ,やや困った側面もあります。というのも,拙著は近世社会における顕彰行為はそもそも何であったのかを,孝子顕彰という事例を通して解明することを主題としました。顕彰とは従来,よき人を褒め称えることにより模範として作り上げ,人々をそれにあやからせる,もしくは学ばせようとする,いわば「教化」行為として論じられてきましたが,拙著は顕彰行為の自己表象としての機能に着目し,どういった主体が,如何なる手段をもって,何を目的に顕彰行為と接点を求めようとしたのかを検討してきました。その作業は研究として成功したと自負しておりますが,副作用として,すべての顕彰あるいは表彰を素直に見られない職業病を患うようになりました。
さて,この複雑な心境を挨拶にどう表現すればよいのかと苦闘したところ,二つのひらめきがありました。第一に,近世の孝子顕彰の場合,そのきっかけを作るのは村役人であったのに対して,今回の奨励賞に関しては私が堂々と自分から応募しました。こつこつと申込書を書き,拙著6部をかき集め,ゆうパックに包み,豪雨の中傘を差して投函した以上,傍観者ぶることはできません。もしも今回の表彰に関して,誰かの隠された意図や下心を探るとするならば,とにかく視線を自分に向けなければなりません。被害妄想に陥る資格はないな,といい加減に悟ったわけです。
二つ目のひらめきは,挨拶自体に関してです。私は自己紹介や挨拶をするのを極力避けるようにしているのですが,そもそも近世の孝子顕彰の場合,黙々と土下座して,「忝く頂戴いたし候」以外に何の発言も求められませんでした。そういう意味で,ここで披露しているような,だらだらと,墓穴を掘るような自意識過剰に溢れる挨拶でも,そもそも許されない挨拶よりはマシだということに気づきました。挨拶が下手でも,いや下手だからこそ,主体を尊重する,理想的な表彰の場ではないかと考えますと,心置きなく,挨拶を述べることができました。
なかなか素直にはなれませんが,今回の受賞は嬉しい,有難い,としか言いようがありません。今日を機に,顕彰を長年疑った目つきで見てきた職業病を治す第一歩として,全快を目指して次の研究課題に勤しんでいきたいと思います。
このたび,拙稿「近世日本地方庶民教化における清聖諭の活用」(『日本思想史学』第49号)に,日本思想史学会第12回奨励賞の栄誉をたまわり,誠に恐縮しております。まず,審査に当たっていただいた諸先生方に深く御礼申し上げます。
私が日本思想史研究の扉を叩いたのは8年前立命館大学の近世史ゼミに留学して来た時のことでした。研究を進めるなかで,ヒト・モノが激しく行き交った近世東アジア像を膨らませていくことを楽しみながらも,その一方,現実では,異郷での生活で,常に国境という巨大な壁と向き合ってきました。だからこそ一国史を脱構築し,国境を超える歴史叙述の可能性を孕んでいる近世史の魅力を身をもって感じてきました。
拙稿もこのような問題関心から出発したものです。近世日本における民衆教化は,常に東アジア諸地域の動向と連動し,共時性・共域性の中に独自の展開を見せていく課題として捉えようとしました。拙稿では地方・民間レベルの庶民教化の現場に注目し,その次元では中国から伝わってきた清朝皇帝の頒布した民衆の道徳倫理に関する聖諭がどのように受け入れられたのかについて検討してきました。しかし,これはあくまでも近世日本の民衆教化と東アジア世界との連鎖を証左する一例にすぎません。この課題を広げ,思想・文化における近世世界の連関の実像を抉り出し,トランスナショナルに民衆の教化・倫理の実践を語るには,まだ時間がかかります。
このたびの受賞を励みにして,研究を少しずつ進めていきたく思います。
こちらをご覧ください。
こちらをご覧ください。
『日本思想史学』第51号掲載論文の投稿を,下記の要領にて受け付けます。「投稿規程」に沿わない原稿は,査読の対象外とすることがありますので,規程を熟読のうえご投稿ください。多くの投稿をお待ちしています。
こちらをご覧ください。
2019年度大会は2019年11月2日(土)・3日(日)に茨城大学(茨城県水戸市)を会場として開催されます。
2019年度大会において発表の申し込みができる者は,2018年度(2018年10月〜2019年9月)分までの会費を完納した会員,または2019年4月末日までに日本思想史学会事務局へ入会届を提出し,その後に総務委員会による入会承認を得て,発表申し込みまでに2018年度分の会費を納入した新入会員とする。なお大会での発表の実施要領については追って案内する。
こちらをご覧ください。
2018年7月に実施された2018-19年度評議員選挙の結果,次の30名の方々が選出されました。
また,2018年10月13日・14日に開催された評議員会において,次のとおり2018-19年度の役員が選出されました。
2018年10月13日(土)に開催された2018年度総会において,下記の事項が承認または決定されましたので,お知らせいたします。
決算額 | 予算額 | |
会費 | 2,562,000 | 3,393,000 |
刊行物売上金 | 63,560 | 80,000 |
前年度繰越金 | 3,644,873 | 3,644,873 |
その他 | 167,967 | 0 |
計 | 6,438,400 | 7,117,873 |
決算額 | 予算額 | |
大会開催費 | 500,000 | 500,000 |
学会誌発行費 | 1,137,780 | 1,200,000 |
通信連絡費 | 319,595 | 350,000 |
事務費 | 215,299 | 150,000 |
事務局費 | 95,000 | 330,000 |
HP管理費 | 59,699 | 10,000 |
電子レポジトリ化予算費 | 300,000 | 300,000 |
「思想史の対話」研究会開催費 | 100,000 | 100,000 |
委員会経費 | 238,602 | 350,000 |
幹事手当 | 600,000 | 600,000 |
予備費 | ― | 3,227,873 |
次年度繰越金 | 2,872,425 | - |
計 | 6,438,400 | 7,117,873 |
会費収入 | 2,650,500 |
刊行物売上金 | 80,000 |
前年度繰越金 | 2,922,425 |
その他 | 1 |
計 | 5,652,926 |
大会開催費 | 400,000 |
学会誌発行費 | 1,000,000 |
通信連絡費 | 150,000 |
事務費 | 100,000 |
事務局費 | 100,000 |
HP管理 | 60,000 |
電子レポジトリ化経費 | 0 |
「思想史の対話」研究会開催費 | 100,000 |
委員会経費 | 250,000 |
幹事手当 | 600,000 |
名簿作成費 | 160,000 |
予備費 | 2,732,926 |
計 | 5,652,926 |
事務局より,お知らせとお願いです。@2018年度には,会員名簿を作成いたします。2019年4月以降に作業を開始いたしますので,よろしくお含みおきください。A連絡先の変更は,随時事務局宛に電子メールでご連絡ください。B入会手続は初年度の会費の納入をもって完了します。入会審査が終わったのち初年度の会費が未納のままとなっている方は,至急納付してください。
同封の別紙に記載されている額の会費の納入をお願いいたします。その際には,同封の振込用紙をお使いください。振込用紙を紛失した場合は,下記の口座にお振り込み下さい。
ゆうちょ銀行なお,3年をこえて会費を滞納された方は会則第4条に基づき,総務委員会の議をへて退会扱いとなります。
※当会の会計年度は,10月1日〜9月30日です。したがって,2018年度は2018年10月1日〜2019年9月30日となります。ご承知おきください。