このたびはからずも会長を務めることになりました。実のところ、いまだたじろぐ思いは消えていません。しかしこれも順に担うべき役割であるとするなら、私もバトンを受けて次につなぐべく、私なりに誠実に努めるしかない、そう覚悟をきめているところです。
会長職を受けてみて、あらためて先輩方のご努力を思わずには居られません。なかでも平石直昭前会長の誠実なご尽力に敬意を表します。平石さんは、会長に就かれる前から、委員会制など制度的な基盤整備等に識見を発揮され、学会の改革に努められました。加えて会長としては、ニューズレターの発行、ネット上のホームページの開設、日本思想史学会奨励賞の創設など、学会のために精力的な努力を惜しまれませんでした。強力な事務局のサポートがあったとはいえ、意欲に満ちた学会運営であったと、私は思っております。
これまで、前会長はじめとした先輩方が築いてこられた学会を継承し、間違えずに着実に運営していくこと、これがとりあえず私に課せられた役割かと自覚しております。
研究を取り巻く状況は、もとより日々厳しさを増しております。“改革シンドローム”に陥ったかのような大学の日常は、日本思想史研究という基礎研究をないがしろにしかねません。こうした状況の中で、学会を着実に持続させ、活性化させることは、実は容易なことではないと思われます。
しかし逆風はチャンスにも転じられます。日本思想史は、固有の確たる制度的基盤をもっていません。研究を再生産する固有の講座の類は、わずかの例外を除いて、制度的に保証されておりません。つまり本学会は、様々な領域の研究者によって構成されています。思想史に関心をもつことだけが共通点。学問上の制度的基盤を持たない分、学会は確かに不安定性を免れません。しかしだからこそ可能性に満ちていると、私は考えることにしています。思想史に関心を寄せる研究者は、学問の諸領域に、まだ潜在しているはずです。歴史学、倫理学や哲学、文学、法学や政治学、経済学、教育学などの諸領域において、思想史研究は、その主流をしめることはないにしても、いずれにも欠かせない主題と方法です。そうした研究者で構成された本学会こそ、可能性を秘めていると言えます。相互に異なる問題意識や視角をもって、共に学問的議論が出来る。これこそ本学会の魅力であるに違いありません。少なくとも私はそう実感して、本学会に参加してきました。本学会で得られた学際的な人のつながりと影響された知的刺戟は、私にはかけがえのない財産です。この可能性をさらにいかに伸ばしていくか、これが本学会の最大の課題でしょう。
学会のもう一つの課題は国際化であると思われます。グローバル化する中、外国における日本研究は縮小に向かっているようです。それは世界の関心が中国に向かうことと相関的であると仄聞しています。日本における日本研究水準は、誇るにたると確信しますが、それを外に向けて、世界に通用する主題を構成して、いかに発信できるか、それが求められています。本学会にはその一端を担う小さくない責任があると考えます。
いずれの課題も容易ではありません。そのための確たる定見を、私が持ち合わせているわけでもありません。ただ本学会は評議員会と委員会が十分に機能しています。編集と大会の両委員会の活動が充実し、それに総務委員会の衆知によって会長をサポートしています。また土田事務局長の下、組織全体を支える事務局は万全です。
徂徠は、組織運営の要諦として、責任者の強い責任意識と適材適所の人材確保の2つをあげています。幸いに適所を得た信頼できる人材には恵まれています。すべてをお任せして不安はありません。残るは私の責任ある自覚だけです。公務多端の中ですが、私なりに努力を尽くす所存です。なにとぞよろしくお願い申し上げます。
10月21日に岩手大学人文社会科学部で開かれた日本思想史学会の2006年度第一回評議員会において私は会長を退き、辻本雅史氏が新会長に選出されました。以下に在任中の活動報告をかねて、退任のご挨拶を認めます。
私が会長に選出されたのは、2002年10月19日に東北大学文学部で開かれた同年度の第一回評議員会においてでした。それから四年間がすぎ、新会長に無事バトンタッチできたことになります。この間における会員ならびに評議員諸氏の支持とご理解、また各種委員会の委員や監事、幹事として尽力して下さった方々に厚くお礼申し上げます。
とくに桂島宣弘氏と土田健次郎氏は、事務局長として幹事の方々を指導しつつ、学会の日常活動に遺漏がないよう大きな努力を払って下さいました。事務局の仕事は会員名簿の作成、会費の徴収、会員への連絡、評議員選挙の実施、評議員会や総会の準備、ニューズレターの編集発行、学術定期刊行物の出版助成応募等、枚挙に暇ありません。本当によくやって下さったと心から感謝しています。また中村生雄氏は学会誌の編集委員長として、編集委員諸氏とともに学会誌の水準の維持と向上に努められました。ケイト・ナカイ氏は英文サマリーの作成にご協力を頂きました。辻本雅史氏と佐藤弘夫氏は大会委員長として、大会委員諸氏とともに大会シンポの企画と遂行に努力を注がれました。さらに中野目徹、苅部直、岡崎正道、中村安宏の諸氏は、各年度の大会が成功裡に実施されるよう大きな時間と労力を割いて下さいました。大会実行委員会の方々に対してとともに、心からお礼申し上げます。
玉懸博之前会長時代から私の任期中にかけては、学会の全国化が課題とされ、学会活動の一層の活発化や会員数の拡大が目標とされました。この四年間に筑波大、京大、東大、岩手大というように全国各地の大学で大会が開かれ、会員数も若手を主として着実に伸びてきたことは、こうした課題が達成されてきたことを示すと思われます。また日常会務の遂行面でも、関係各位の努力と情報の共有によって、各種組織間の役割分担や年間スケジュールに沿った運営等の面で一定の方式が確立されてきました。これも学会の順調な発展を示すものといえましょう。
私が任期中に企画した制度には、ニューズレターの刊行と学会奨励賞の新設があります。まず前者に関してですが、従来当学会では「大会報告」と「大会案内」が発行されていました。しかし学会の全国化に伴って委員会等の活動が増えたにも拘らず、その情報が十分会員に伝わっていない憾みがありました。また会員相互の情報交換という面でも改善の余地があるように思われました。そこで「大会報告」「大会案内」を拡充する形でニューズレターを刊行することにしました。幸い皆さんの賛同とご協力を得て、また事務局の大きな努力によって刊行が果たされてきています。心から感謝しています。
また学会奨励賞については昨年の評議員会で提案し、今年度の評議員会と総会で新設が認められました。この点については関連文書や「第一回奨励賞募集要領」「応募用紙」が別記・別添されていますのでご覧下さい。学会活動の活性化につながることを願っています。なおこの賞については「会則」上の変更はない形で新設しましたが、評議員会において、学会活動の一環として重要な位置を占めるので「会則」上にも反映させた方がよいという意見が出されました。これについては新執行部の下で文言の検討が加えられると思います。
最後に、村岡典嗣が『本居宣長』に引いたアリストテレスの言葉をもって、私のご挨拶の結びと致します。Amicus Plato, magis amica veritas. 会員諸氏が互いの学問的営為に敬意をもち、切磋琢磨を重ねて、斯学の一層の発展に貢献されるよう祈ってやみません。
さる10月21日(土)、22日(日)の両日、岩手大学を会場として日本思想史学会2006年度大会が開催され、1日目のシンポジウム・総会・懇親会、2日目の研究発表・パネルセッションを無事終えることができました。参加者(アルバイトの学生を除く)は139名(うち会員104名、非会員35名)、懇親会の参加者は69名でした。また、2日目の研究発表者は22名(うち古代中世3名、近世8名、近代現代11名)、パネルセッションは1企画という状況でした。北東北の地での開催ということで、どれほどの皆様方に来盛いただけるか心配しておりましたが、予想以上の参加者そして発表者に恵まれました。参加してくださった皆様には心から感謝申しあげます。
大会の開催に当たっては大会実行委員4名(岡崎正道、中村一基、李玉燕、中村安宏)のほかに、人文社会科学部の学部生など18名にも手伝ってもらい、準備を進めてまいりました。以下では、実際に準備の過程で私どもが考えていたこと、考えざるを得なかったことのいくつかについて、書き留めておきたいと思います。今後、なにがしかの参考になればと思うからです。
第一に、日本思想史学会は全国学会としての内容を整えつつあり、その一環として、大会の開催校についても3地区に分けてのローテーションが定着してきています。これは一面、大会開催の負担を分かち合うという意味もあるかと思いますが、今回、実行委員会では、岩手大学で開催するからには、大学の特色をより積極的に打ち出した大会ができないものかと検討してまいりました。シンポジウムの会場として農業教育資料館(旧盛岡高等農林学校本館)を使用したのは、以上の考えに基づいたものです。会場間の移動などご不便をお掛けすることへの懸念もありましたが、それ以上に、明治後期の学校の雰囲気を留めている建築物を見、また感じていただき、その会場にて「近代の漢学」をテーマに論じ合うことへの思いが強かったためです。
第二に、岩手に住む大学教員や一般市民のなかには、日本思想史に関心を持っている方も少なくありません。大会の場で会員相互の交流を深めることが重要なのは言うまでもありませんが、私どもはそれに加え、会員の皆様と、こちらの研究者等との交流を広げ、あるいはつながりを深めていく機会を提供できないかと考えました。そこで岩手大学の教員を中心に行われているいくつかの研究会に声を掛けたところ、科学研究費補助金特定領域研究の研究班からの応募があり、パネルセッション「霊魂観の行方―遺骨と魂魄をめぐって」という形で実現いたしました。
なお、開催地域にもより開かれた大会ということに関しては、大会参加費の問題がありました。今回は、シンポジウム会場が国の重要文化財であるため、皆様から参加費をいただけないという事情もあり、むしろ参加費を無料(かわりに発表要旨集代をいただきました)にして、一般の方々の来聴を呼びかけることにいたしました。
以上の試みについて、大会に参加した皆様方はどのような感想を持たれたでしょうか。
大会を開催するに当たって、研究発表の司会をお引き受けいただいた方々や、会場設営の手伝いをしていただいた東北大学の皆様をはじめとし、多くの方々のお世話になりました。この場を借りて深く感謝いたします。ありがとうございました。
ここ数年、学会の発表は近代が中心になっている。一昔前の近世の盛行が嘘のようである。なぜこのようになってしまったのか。漢文や古文を読むことが大変だからという単純な理由以上に、何か別の要因がありそうである。学会誌に掲載された片岡龍氏の近世儒学研究史の総括は、そのような疑問に答える一つのヒントを与えるものであった。氏によれば、70年代後半以降の儒学研究は、「遺産目録」に挙げられるべきものである。氏は、「近代」とか「主体性」とかいう言葉が輝きを失った現代、なお思想史の全体像は描くことができるのか、といささか挑発的に締めくくっている。正直なところ、盛岡に向かう新幹線のなかでそれを読みながら、本当にそうなのかという思いを禁じえなかった。しかし同時に、片岡氏個人に還元できない、若い世代の苛立ちは感じ取ることができた。
「近代の漢学」をテーマとする本年度のシンポジウムは、一種の閉塞状況にある近世の儒学研究にとっても、タイムリーなものであった。漢学から支那学への流れを、青木正児の支那学というゴールから照射した齋藤希史氏の報告は、御自身の研究方法を歴史的に定置しようとする試みであるように思えた。また、吉田公平氏は、明治時代の漢詩文には埋もれている資料がたくさんあって、まず近代の漢学の全貌をとらえる必要があることを語った。世代を異にする二人の報告者が示したことは、結局、自己の方法論の見直しと研究対象の絶えざる拡大という思想史研究の王道であった。
かつて吉田公平氏から、研究方法をめぐる閑談議をくりひろげる「玩志喪物」を戒められたことがあった。たしかに、片岡氏によって死亡診断を下された70年代の研究には、「玩志喪物」と揶揄されるような傾向があったかもしれない。しかし、逆に「志」もなく、新資料ばかりに目を向ける、記誦博識の「玩物喪志」に陥りかねない現在の研究状況においては、研究方法と問題意識を論じあうことが求められているのではないか。時代は、いつの間にか、一周りしてしまったようである。
こちらをご覧ください。
こちらをご覧ください。
『日本思想史学』第39号掲載論文の投稿を、下記の要領にて受け付けます。多くの投稿をお待ちしています。
2007年度大会は10月21・22日(土・日)に、長崎大学(長崎市)を会場として開催されます。
大会シンポジウムの内容、パネルディスカッション・個別発表の受付等については、ニューズレター夏季号(6月発行予定)でお知らせするとともに、会員の皆さまには郵便にて直接ご案内申し上げます。
新入会員一覧ほか、一部ホームページ上の「ニューズレター」には掲載していない情報があります。