2007年度の大会が去る10月20-21日、長崎大学を中心に行われました。シンポジウムは大会の地にふさわしい主題が、市民も参加した公開の場で行われました。会場は、近世の長崎奉行所跡地の、長崎歴史文化博物館でした。往時を再現した長崎奉行所、および博物館の陳列と共に、長崎の積み上げられた歴史と文化に浸りながら、一種「贅沢な」シンポでした。翌日の研究発表も参加者も盛会だったように見受けられました。
この大会には、とくに22-23日にエクスカーションが組み込まれていたことも特筆されます。真っ青の秋空と海を堪能しながら、平戸や生月島、それに最後の崎門学者・楠本端山旧宅と鳳鳴書院(復元)など、ひとりでは行き難い多くの史跡や資料館を訪れることができました。週明けの2日間、参加しにくい日程ながら、私は多少の無理をして全日程に参加しました。今回の大会は、そのいずれをとっても、佐久間氏をはじめとした開催校関係各位の、深くて熱い想いが隅々にまで感じ取れました。私には、深い印象とともに、いつまでも記憶に残る大会でした。佐久間氏はじめ関係各位には、心から感謝申し上げます。詳しくは、大会実行委員長(佐久間氏)、及び大会参加記の記事をご覧下さい。
来年度は、愛知教育大学が会場になります。大会委員会と前田勉評議員を中心に、周辺会員の協力も得て、企画や準備がなされることになっています。ご期待下さい。
第1回日本思想史学会奨励賞は、大会総会時に授賞式が行われ、懇親会で受賞のスピーチもなされました。詳しくは別項記事をご覧下さい。お二人とも20代。新しい思想史の可能性を予感させる論文で、奨励賞にふさわしい受賞です。
本賞は、平石前会長時に周到に準備され、昨年の総会で決定されました。応募は期待ほど多くはありませんでした。知名度不足や様子見などもあったと思われます。また推薦書2通付きの自薦という形式も、応募をためらう原因であったかもしれません。会員各位には、第2回に向け、別記公募をご覧いただき、受賞にふさわしい若手研究者に応募を勧めていただきたくお願い申し上げます。これからの日本思想史研究を担っていく次世代を見いだし応援していくのも、学会の大事な役割であると考えます。
会員各位のご協力をお願いいたします。
10月20日(土)、21日(日)の2日間、長崎市で開催された2007年度大会及び22日(月)から23日(火)、1泊2日の日程で久方ぶりに行われたエクスカーションの概要についてお知らせします。会員の皆様のご協力によりいずれも成功裡に終えたことを大会実行委員会委員長として本当に嬉しく思っています。
大会第1日の10月20日には、「日本思想史の問題としてのキリシタン―思想と暴力―」をテーマに公開シンポジウムを開催しました。会場は、かつての長崎奉行所跡に近年開館した長崎歴史文化博物館のホールでしたが、比較的小規模の140人収容ということもあり、会場一杯の参加者でした。シンポジウムは内容的にも成功したと自負していますが、それは何よりも、大会委員会の適切なテーマ設定とそれにふさわしい報告者の選定によるものと思います。中村春作委員長をはじめとする大会委員の皆さん、そして周到な準備を踏まえて報告していただいた大桑斉、五野井隆史の両先生に改めてお礼を申し上げます。また、私の密かなねらいは、長崎の郷土史・地域史関係者に思想史研究の最新の状況を紹介し、「長崎学」の活性化に資したいというものでしたが、会員外の40人余りの参加者があり、案じていたフロアーからの質問・意見を踏まえた議論も活発で、この点でも公開シンポジウムは成功を収めたと考えています。
第2日の21日の研究発表は、会場を長崎大学の文教キャンパス・環境科学部に移しました。今回の発表総数は26、これまでの最多です。内訳は中世2、近世8、近現代16でした。古代・中世の減少、それとは逆に近現代の増加は近年の傾向ですが、とうとう古代は発表なし、近現代が6割を超えました。ここには、学会としても考えるべき問題があるように思います。
私自身、常々、思想史の現場を訪ねることの重要性を思い、これまで私なりに実践してきたのですが、長崎で大会を引き受ける時には、エクスカーションを復活させようと考えていました。18人という私の期待よりは少ない参加者でしたが、移動や交流という点ではちょうどよい人数でした。天候にも恵まれ、ハードスケジュールだったものの、とてもよかったという感想を多くの参加者からいただき企画した者としてとても嬉しく思いました。
22日午前9時、長崎駅前から貸切バスで出発し、西彼杵半島に入り、遠藤周作文学館(絶景の地にあります)、中浦ジュリアン記念公園(貧弱と思い当初予定に入れていなかったのですが、思いがけず好評でした)、ポルトガル船の最初の寄港地横瀬浦(かわいい小さな港です)を経て、西海橋の手前で昼食。西海橋を渡って針尾島に入り、参加者の強い要望でこれも当初予定に入れていなかった崎門最後の儒者楠本端山の住まい(楠本正継の表札が掛かっていて皆びっくり)、鳳鳴書院(再建)、儒式の端山墓(皆さんの関心を惹きました)を回り、佐世保市内の旧海軍墓地、海上自衛隊資料館を観て、平戸大橋、生月大橋を経て生月島の宿に到着したのは薄暮の午後5時半。女将から平戸の高級焼酎「甲比丹」の差し入れもあった懇親会では、1年ぶりに再会した知人や初めての方と話が弾みました。
23日、午前9時出発、生月博物館に行き、学芸員の中園さんの実に懇切な説明を受け、カクレキリシタンのみならず生月の捕鯨についても大分知見を深めました。生月のキリシタンの聖地中江の島の見える殉教の遺跡やカクレキリシタン部落を回り、生月大橋を渡って平戸島に入り、かつてのオランダ商館近くのホテルで昼食。松浦資料館を見学後1時間ほどの自由行動。私を含む4人のグループは有名な「教会と寺院のある風景」を回りました。午後2時半平戸を発ち、4時過ぎ長崎空港で大分降り、長崎駅前に到着したのは5時半。エクスカーションの第一目的であった生月のカクレキリシタン関係資料や遺跡を訪ねたことのみならず、長崎の多様な自然と文化を知りましたという感想をお聞きし、疲れが半減する思いでした。今後も条件が許すならばエクスカーションの実施をお願いしたいと思います。
日本思想史という学問分野は、ことさら地域性を意識しなくても取り組めるものであるし、むしろ地域性を前面に押出せば、テーマ自体が特殊化することによって学問的な普遍性を維持しづらくなるように感じてきた。もちろん、「日本」思想史を「さまざまな日本」のそれに解体すること、あるいは「東アジア」の視野で日本思想史を相対化することは、近年の大きな潮流になっている。しかしそのいずれに対しても、やたらと流行を追いかけているような印象を持ってしまうのは私だけではあるまい。少し足下を見つめ直して、原点にもどってみてはどうか。そんな自分自身の勝手なレトロ志向の想いと、かつて二度訪れた長崎への個人的な懐かしさも折り重なっていた。
大会委員の佐久間正氏による公開シンポジウム「日本思想史の問題としてのキリシタン―思想と暴力―」に関する趣旨説明は、たいへん熱のこもったものであり、「長崎」という地域性から日本思想史の普遍的な問題を考えようという強い意気込みと、それをつうじて学会を地域の人たちに開こうとされた積極的な姿勢には、心うたれるものがあった。鎖国時代の開かれた国際都市長崎のもつ、もう一つの顔が殉教やかくれキリシタンで象徴される、信仰と弾圧の問題であることを改めて認識させられ、また久しぶりのエクスカーションもそうした主旨にそって計画されていて、実に長崎大会にふさわしい意義ある内容であったと思う。さらにいえば、昨年度大会にちなんで前田勉氏が「玩物喪志」に陥りつつある現在の研究状況への批判的提言を記されていたが、その意味でも長崎大会は一つの問題提起を含んでいたように思える。ただ「志」は本来多様なものであってかまわないし、思想史学会はむしろそうした多様性を包み込んで今日まで発展してきたのも事実であり、今後もそうあってほしいと願っている。本大会から若手の思想史研究者を対象とする奨励賞が始まったが、これをきっかけに、多様な「志」が湧出し、新旧世代間の対話が活発になることを期待したい。
まず、日本思想史学会に感謝します。様々な背景を持った研究者が集まるこの学会において、私の拙い論文が認められたことをとても光栄に思います。今後は、受賞者の名に恥じぬよう、研究に邁進したいと思います。
第二に、田口卯吉に感謝したいと思います。彼が住んでいた本郷西片町も、お墓がある谷中墓地も、幸いなことに私の所属する大学院から近いところにありました。折りに触れて周囲を散歩し、恐らく田口も歩いたのであろう道を歩きながら、彼がかつて本当にここに生きていて、読書し、考え、議論し、執筆したのだ、という夢想にふけることは私にとって大きな喜びでした。そのような喜び無しに、論文執筆という苦行が乗り切れたのかは甚だ疑問です。
今後は、福澤諭吉の圧倒的な輝きによって、ともすれば後景に退きがちな明治前期の知識人(特に『明六雑誌』同人)を対象に(江戸漢学の遺産を常に意識しつつ)研究を進めていきたいと思います。
総ての根本には思想がある。科学さえ例外ではない。中でも、「精神」の「病」を対象とする精神医学は、「霊魂」を論じ、病気治しを担う民衆宗教や民間療法と密接に関わる領域を持っている。この点に着目し、両者の思想的相剋を検討した本論文が、「思想史研究の新たな展開を期待させる」と評価されたことを、心より嬉しく思う。
思想史は総合の学である。人間観や社会観、世界観といった大きな問題が、人々の生々しい日常をどこかで規定する基盤ともなる。前者の抽象が、いかにして後者の具体と切り結ぶのか。こうした局面に焦点を当てた、"生きた思想史"を記述していくことが、これまでの課題であり、これからの展望でもある。こんな問題も思想史として考えられるのかという発見が、今後も続くだろう。このたびの受賞を大いなる励みとして、いっそう精進していきたい。
こちらをご覧ください。
ニューズレター第6号でお知らせいたしました通り、学会誌のweb公開化に関して、2007年度大会総会において、以下に示すような方針で実施することに決まりました。よってここに公告いたします。
以上
中国浙江省余姚市において、2007年4月に王陽明の生家が修復され、一般に開放されることとなり、祝賀式典および王陽明国際学術シンポジウムが開催されました。佐藤錬太郎と荒木龍太郎の両名が招待を受けて参加しました。その際に、来年、全中国の陽明学会が創設されるにあたり、研究交流を進める上で日本に陽明学の連絡会すらない現状は不便であり、なんとかしてもらいたい、という要望が、浙江省社会科学院の国際陽明学研究中心主任の銭明教授から寄せられました。それを受けて、本年10月5日に日本陽明学連絡会が結成されました。今後、中国の陽明学会との連絡窓口になると共に、大学の枠を超えて朱子学、陽明学に関心を持つ若手の研究者が交流を図れるよう、研究情報を提供することとなりました。2008年10月中旬には、王陽明龍場悟道500周年を記念する国際学術討論会が貴州市龍場で開催される予定で、連絡会として参加すべく準備中です。本会への加入を希望される方は佐藤に連絡してください。(日本陽明学連絡会代表・幹事)
中国の国家プロジェクト「儒蔵」編纂事業の当局―北京大学「儒蔵」編纂中心(代表・湯一介教授)からの要請に応じて、日・韓・ベトナムそれぞれに、それへの参画機関を建て、その事業に協力している。
「儒蔵」日本編纂委員会は、昨年9月に成立。
すでに第一期「儒蔵」精華編の儒学典籍50点を選定、藤原惺窩から竹添進一郎にいたる著述―「文章達徳綱領」〜「左氏会箋」について、校点・校訂と解題を担当する候補を指定し、その作業に入っている。世話する事務所は、(財)東方學会に置き、北京大編纂中心との交信、編修委との連絡を随時すすめている。広く内外のご意見を乞う次第。(「儒蔵」日本編纂委員会顧問)
『日本思想史学』第40号掲載論文の投稿を、下記の要領にて受け付けます。多くの投稿をお待ちしています。
2008年度大会は10月18・19日(土・日)に、愛知教育大学(愛知県刈谷市)を会場として開催されます。
大会シンポジウムの内容、パネルディスカッション・個別発表の受付等については、ニューズレター夏季号(7月発行予定)でお知らせするとともに、会員の皆さまには郵便にて直接ご案内申し上げます。
新入会員一覧ほか、一部ホームページ上の「ニューズレター」には掲載していない情報があります。