先日,新事務局長の宇野田尚哉さんと新幹事の黒川伊織さんにわざわざ仙台まで関西から足を運んでいただき(ピーチ航空,日帰り!),実際に事務局の現場を確認していただきながら,半日がかりで引継ぎ作業をしました。
こうした本格的な引継ぎは,従来あまりなかったのではないかと思います。これは前田会長の強い要望によるもので,ものぐさのわたしとしては当初そこまでやらなくてもと思いましたが,引継ぎを終え,東北の美味い魚で酒を酌み交わしながら(もちろん私費),やはりやって良かったと感じました。
引継ぎに参加した旧事務局側メンバーは,冨樫進さん(現,東北福祉大講師),岡安儀之さん(現,東北大助教),森川多聞さん(現,東北大助教)とわたしの4人でした。冨樫さんは旧事務局の最初の半年間の幹事,また最後の半年間の会計責任者ですが,あいだの2年間も色々な面で旧事務局を支えていただきました。岡安さんは冨樫さんの後の2年半もの長い間,たいへんな幹事業務を勤め上げられました(事情により数ヶ月,片岡代行)。森川さんは3年間,学会HP管理の責任者でしたが,新事務局に移行しても同じ業務を続けられます。また事務局とは別組織ですが,冨樫さんと森川さんはレポジトリ化委員会(ワーキンググループ)の中心メンバーでもあります。今後は森川さんがレポジトリ化の実質的業務に当たられます。それもあって,新事務局移行後もHP管理を継続されます。
旧事務局のメンバーとしてはその他に小泉礼子さん(当時,博士後期課程院生)に2年半の間,会計責任者をしていただきましたが,現在はご病気のため療養中です。そのほか中国留学生の李月珊さん(現,山東大学講師),韓国留学生のジョン・ジェヨンくん(現,博士後期課程院生)をはじめ,多くの院生・学部生が事務局業務を手伝ってくれました。
わたしが事務局長をしていた間の最も大きな出来事は,固定した幹事手当(月額3万円。新事務局移行後は月額5万円)の支出を会員の皆様から承認していただいたことかと思います。そうした手当が必要不可欠となった背景には,皆様もよくご存じのように,従来ボランティアで事務局業務を支えてくれていた助手やポスドク・院生など若手研究者の研究環境が,悲惨とも言えるほど悪化している現状があります。関東や関西などの地域だと,まだそれほど切実ではないのかもしれませんが,地方では人命や健康にかかわるほどの深刻な状況です。
もちろん,学会には学会の使命があり,そうした社会的問題のすべてに対応する義務はありませんが,業務に見合った最低限の経済的手当は必須と思います。わたしが以前に事務局長を担当していたときから,事務局業務の一部を業者委託してはどうかという案もありました。しかし,今回わたし自身,数ヶ月のみですが幹事業務を代行してみて,業者委託できない業務の割合の方がまだまだ大きく,ごく部分的には委託した方がよいと思う仕事(海外会員の会費徴収・学会誌等発送など)もありますが,それ以外はまだ現在のような「家内制手工業」の方がむしろ効率に優れるという印象です。ただ,新事務局ではHP管理以外は幹事が一人ですべての業務をしなければならないため,業務方法も大幅に刷新していただくのが良いかと思います。
振り返ってみて,事務局長として,上に述べた以外のことはほとんど何もできませんでした。就任時のニューズレターのご挨拶には,海外会員・学生会員・定年退職されたシニア会員などの学会・研究活動にたいするサポートをしたいなどと書きましたが,まったく実現できていません。新事務局でぜひご検討いただければ幸いです。
ただ事務局に届くメールで,わたしが返信すべきものに対しては,できるだけ事務的でないお返事を書くように勉めました。そんなことをして何の意味があるのか,お互い身がもたないという考え方もあるでしょうが,少なくともわたし自身にとっては,たんに事務処理しているのではなく,それをきっかけに人間的なつきあいをしていると思えることが,一つの心の安らぎでもありました。
最近は研究ですら,だんだん事務の論理が優先しているように感じています。経済的手当だけでなく,それに対して学問的にどう対応していくのか,10年もすればほぼ意味のなくなる個人の業績を積み上げるだけでなく,学会の叡智を集めて向きあっていく必要があると感じました。
このたび事務局長をお引き受けすることになりました。私のような者のところに事務局長の大任が回ってきたのは,単純にほかに引き受け手がおられなかったからで,とくに態勢が整っているわけではありません。近々送られてくるであろう学会の荷物をどこに置くのかといったことにすら,頭を抱えている状態です。
近年,どこの学会も,事務局の維持には苦労しているようです。一般論としていえば,かつては安定的に雇用された助教に校務と区別のつかないようなかたちで学会の事務をやってもらうことができていたのに対し,近年では助教の雇用が不安定化したりそもそもポストが無くなったりしてそういうわけにもいかなくなった,ということがあるのだろうと思います。そうなると,大学院生やオーバードクターを無償労働に駆り立てることはしないという前提に立つかぎり,事務局が機能する時間数もおのずから限られてくることになります。
事務局の仕事には季節労働のような側面もありますので一概にはいえませんが,原則としては,だらだらとメールに対応し続けるような働き方はやめて,オンとオフの区別をはっきりさせようと考えています。そのため,事務局宛に送ったメールに対してなかなか返事が来ないというようなことも生じるかと思いますが,そういった点については会員のみなさんにぜひご理解いただきたく思っています。
一般論としていえば,下手をすると学会がアカデミック・ハラスメントの温床になりかねないというのが,現在の状況だろうと思います。そのような状況に筋を通して抗うことも現代の重要な思想的営みの一つであると私は考えています。
本年度日本思想史学会大会を,10月28日,29日の両日に東京大学本郷キャンパスにて開催することができました。当日は台風が関東地方を来襲するという予想が出ており,1週間ほど前から心配しておりましたが,幸い,雨風は大したことはなく,無事に大会を終えることができ安堵しております。
当日は175名の会員をお迎えし,来年度と合わせて学会設立50周年を迎えての記念大会ということで,シンポジウム,パネル,個人研究発表,それぞれの部会で熱い議論が繰り広げられました。特にシンポジウムでは,宗教,東アジア,ジェンダーという日本思想史にとって喫緊のテーマが集中的に議論されました。ただ,残念なことに,私自身は運営の仕事に追われ,断片的にしか発表や討論を伺うことができませんでしたが,今後の学会の発展に大きく貢献するであろう諸提題や力の籠った御発表につきまして,改めて活字で拝読するのを楽しみにしております。
今回の大会の開催にあたりましては,副実行委員長の長野邦彦さん(東京大学大学院博士課程2年)と,実行委員をお願いした中央大学の大川真先生と尾留川方孝先生に多大なご尽力をいただきました。長野さんには,多種多様の実務を手際よく並行して進めていただきました。大川先生には,これまで学会事務局で培った御経験に基づいたアドヴァイスをいただき,また当日も数々のご配慮をいただきました。尾留川先生には大会当日のみならず要旨集の作成をはじめ煩瑣な実務をご担当いただきました。この御三人,そして当日,受付係や会場係を引き受けてくださった東京大学倫理学研究室,お茶の水女子大学倫理学コースの関係者の皆様に心からお礼を申し上げたいと思います。会長の前田勉先生,大会委員長の高橋文博先生,事務局の片岡龍先生にも何かにつけてご配慮をいただきました。苅部直先生と冨樫進先生からは,御自身が大会開催に関わられた時の記録を頂戴いたしました。心から感謝申し上げます。また,お忙しい中,快く司会をお引き受けくださった諸先生方,ありがとうございました。
思い起こせば,今年度大会のちょうど一年前,関西大学での新旧大会校の引き継ぎの会の席上で,陶徳民先生からさまざまなアドヴァイスを頂戴いたしました(その詳細は2016年度冬のニューズレターの陶先生の文章をご参照ください)。「プログラム上は発表者の所属大学だけを示し,常勤・非常勤という区別表示をつけないことによって同業者の仲間意識を高める」という先生のご提案,まさにその通りだと思い,今年度もプログラムをそのように表記いたしました。また「マニュアルの整備を」とのご提言を頂戴いたしました。すでに東北大,早稲田大がご担当された年度にそれぞれ詳細なマニュアルを作ってくださっていますが,時代とともに変わってきた部分もございます。今後さらによりよいものに練り上げていくべく,今年度の経験に基づいたマニュアルを,私どもなりに作成したいと思っております。
今後,人文系ポストの削減,大学教員の負担増に伴い,大会開催校を引き受けることが困難な状況がますます加速することが予想されます。そのような中で,私どもは,運営の合理化を推進しつつ,参加者が満足できるような大会を作り上げるにはどうすればよいのかということを第一の課題として,今年度の大会の準備をして参りました。一例といたしまして,これまでプログラムと同送していた出張依頼書を学会HPからダウンロードするようにしたり,準備作業の一部を外注したりいたしました。これらの試みにつきましてはマニュアルに書いておきたいと思っております。私どものささやかな試みが次年度以降にも生かされ,さらに充実した大会が開催されますよう期待しております。
最後になりましたが,大会にご参加くださった会員の皆様,会場が限られていた関係で何かとご不便をおかけしたかと存じます。どうぞご海容くださいませ。皆様のご協力で無事大会を終えることができましたこと,心からお礼申し上げます。
大会初日のパネルセッションは,「カミとホトケの幕末維新――交錯する宗教世界」,二日目のシンポジウムは「学会創立50周年記念」として総合テーマ「対立と調和」を掲げ,「宗教と社会」「東アジアと日本」「日本思想とジェンダー」の視角から発表・討議が行われた。
会員歴が短く,外からこの学会を意識していた身からすると,隔世の感がある。近世から近代へ,思弁的思想史から対象とする資料・領域の拡がりというシフトが,この学会の大勢であることをパネルやシンポの枠組みは如実に物語っている。個別の発表でも,この傾向は顕著であった。
ただし,古い言葉を使えばこの「脱構築」は,いったいどこに向かうのかも気になる。独断と偏見であえて言わせてもらえば,「権力」「社会構造」「メディア」と,それをふまえた「思想」史という視点が,これらの新しい動きに通底していると感じた。
たとえば,素行について武士階級内の三身分を踏まえた教化を指摘されたり,文献史学の雄である三上参次の啓蒙活動がサムライの国の自意識を核にしていたのではと報告されたり,蘭学内の医学・博物学から兵学へのシフトに近代国家制度の確立の一端を見たり,さらには長州の「勤王」僧月照から,同じく長州出身で,近代仏教「改革」の雄でもある島地黙雷への流れを見通したり。これまで,権力とつながるナショナリズムや暴力装置の分野として忌避されてきた問題や領域に次々と光が当てられていた。「戦後」の終わりを感じた。
あえてカオスから目を背けず,開いて行こうという学会の姿勢には,明るい未来を感じた。個人の政治的立場は措いて,議論にタブーを設けない風通しの良さこそ,学問の生命だと思う。文献史学では,まだ「権力」と「民衆」の分野で大きな壁があることを,共同研究を経て知ると,この学会の自由な空気は実に貴重だと思う。
第11回日本思想史学会奨励賞は,例年通り,ニューズレターおよびホームページを通じて公募を行い,応募は単行本著作3点であった。それに学会誌『日本思想史学』第48号掲載論文で資格規定を満たした論文のなかから,同誌編集委員長の推薦になる論文2点を加え,合計5点を対象に選考を行った。
選考委員全員で慎重に審査を行った結果,全会一致で,上記著作への授賞が決定した。
本書は,高山樗牛と姉崎嘲風の思想と生涯に関する堅実な研究であるとともに,彼らが提示した「憧憬」の思考様式を機軸に用いながら,明治三十・四十年代における思想空間を新たに描きだした力作である。
第一に著者は,樗牛・嘲風の二人が造語し用いるようになった「憧憬」という言葉に着目し,現実を顧みない「理想主義」と,状況に追随するだけの「現実主義」との両極の中間にある発想が,この時期の知的世界に普及していたことを明らかにした。その結果,民友社・政教社の時代としての明治二十年代と,人格主義・教養主義の時代としての大正期とのあいだをつなぐ時代像を提示することに成功している。
第二に,この二人の思想家は,高等中学校・旧制高校・帝国大学と,制度の完成をみた学校システムで学び続けた初期の世代に属する。さらに知識人として活躍を始めた時期は,文学・歴史学・宗教学・美学といった,アカデミズムにおける専門分野の確立と並行している。また,その青年期における文芸雑誌の流行と,地域をこえた「誌友交際」が,多くの分野にわたる二人の思想形成を支えていた。そうした制度的・メディア的背景のうちに個別の思想を位置づける手法において,本書は優れている。
第三に,樗牛・嘲風の両者,とくに全集に不備の点が多い前者に関して,厖大な著作を初出の雑誌にあたりながら,ていねいに分析している。その結果,「ナショナリズム」「日本主義」や「ロマン主義」といった概念をあてはめるだけではとらえきれない,思想のニュアンスを明確に表現することに成功した。こうした手法の堅実さは,後進の研究者にとって適切な模範となるだろう。
以上から,本書は授賞にふさわしいと判定された。
本書は,このところやや停滞気味であった民衆宗教(新宗教)分野の思想史的研究にきわめて斬新な視点を持ち込んだ労作である。とりわけ,次の三点において当該研究分野に新しい展開をもたらしたものと評価できる。第一に,これまでの当該分野研究は,教祖研究,教祖の思想研究に焦点が当てられるものがほとんどだった。だが,本書は,むしろ「教祖以後」を主舞台に,教祖の残したテクストを,残された信者たちがどのように読んでいったのか,その読みの変容過程,信仰の変容過程を描きだそうとする。こうした研究は,教団内部では一定程度行われてきたものではあったが,学界ではさまざまな制約もあり,なかなか行われてこなかったもので,本書が取り扱う天理教のみならず,広く他の民衆宗教研究に示唆を与える刷新をもたらした研究と評価できる。第二に,これまでの近代の民衆宗教教団研究を,一方での「本来の信仰」の保持と,弾圧によってやむを得ず国家・戦争への協力を行ったといった「二重構造」論であったと総括し,それを抜本的に批判したことである。本書によって,非歴史的な「本来の信仰」論が批判され,信仰を時代とともに変容していく動態的・歴史的なものとして捉えている点は,本書においてとくに読み応えのある部分である。この結果,戦時体制下での信仰が,その時代の中での教祖理解,テクストの読みと密接に関連していることが示されるところとなった。第三に,天理教研究に関していえば,教祖中山みき以後の飯降伊蔵,中山正善,諸井慶徳らの信仰や,のみならず戦時体制下においては無名ともいえる数多くの信者たちの様態が明らかにされた意義も大きい。とくに中山正善が教祖のテクスト編纂を行うことで,近代からする視点で天理教の信仰が再定置されていったことを示した書誌学的分析の部分は,テクスト分析としても斬新な研究で,戦後の「二重構造」論や天理教団の自己認識の歴史的背景をも示唆するものとなっている。なお,天理教は植民地でも果敢な布教を行っている。本書では「満州国」での様態について言及はあるものの,未だ朝鮮などについては課題を残している。また,戦後の様態についてもやや不十分なところがある。だが,こうした点は本書の不十分性ではなく,むしろ今後の研究の大いなる可能性をも示したものと評価したい。今後のますますの研究の発展に期待したい。
最後に,本書は主要新聞のみならず,宗教学分野,歴史学分野,さらに教団関係分野などにおいても,数多く書評され,学界をまたいでの高い評価を受けている。日本思想史学が広く学際的に展開されていく上でも,本書は重要な役割を果たすものといえよう。
以上によって,本書は日本思想史学会奨励賞にふさわしい書物である。
このたびは,拙著『<憧憬>の明治精神史:高山樗牛・姉崎嘲風の時代』(2016年,ぺりかん社)に対し,第11回日本思想史学会奨励賞をいただき,誠にありがとうございました。審査の労を取っていただいた諸先生方に厚く御礼を申し上げますとともに,学生時代からご指導いただき,今回の応募に当たりご推薦いただいた中野目徹先生と,本書完成まで的確な助言で私を導いて下さったぺりかん社の藤田啓介様に,この場をお借りして感謝の気持をお伝えしたいと思います。
思想史研究には様々な立場があり得ると思いますが,私自身は,学生時代から日本史学を学び,思想史研究も歴史学研究の一部として捉えることにこだわってきました。政治思想史や倫理学,文学,宗教学,様々な背景の研究者が集まって議論する日本思想史学において,歴史学はどのような貢献ができるのか。そんな問いも,研究を進める過程で絶えず念頭にありました。歴史学の立場からすれば,思想の理解にあたっても,取り扱う素材がどのような歴史的価値を有するかについての吟味,すなわち史料批判が重要な位置を占めると思います。結果として,全集に不備のある高山樗牛や姉崎嘲風の思想を理解するために,一度全部初出誌から洗い直し,全集未収録の著作や書簡類を点検し直すという膨大な時間のかかる作業に没頭することになりました。
正直に告白すると,随分長い間,自分の研究が日本思想史の分野で通用するのかどうかという不安にも似た思いと,日本思想史学会で活躍する同年代の研究者に対する憧れの念を抱き続けてきました。卒業論文で樗牛研究を志してから既に十数年が経過してもなお,相変わらず理想と現実のギャップに悩まされていますが,今回,大変素晴らしい賞をいただいたことで,このままさらに研究に励むようにと,不安に捉われがちな私の背中を押していただいたような気持でいます。今後は,いただいた賞に恥じぬよう,一層の努力をして,日本思想史の研究に邁進していきたいと思います。
このたびは誠にありがとうございました。
このたびはこのように立派な賞をいただき,非常に光栄に思っております。まずは審査にあたっていただいた委員の先生方,また前田会長をはじめとして,学会の運営にあたっていただいている先生方に深く御礼申し上げます。自分の研究が「思想史」という枠に入っているのかどうか,あまり自信がないまま応募させていただいたのですが,これを期に,もう少しマメに本学会に参加させていただこうと思いを新たにいたしました。
総力戦体制に向かっていく近代天理教運動を論じたこの『新宗教と総力戦』という本は2015年に刊行されましたが,それは戦後70年にあたるとともに,いわゆる安保関連法をめぐって市民の反対運動が展開され,それを押し切るかたちで法律が成立させられた年でもあります。この国では “戦争する社会”への地ならしが確実に進んでいるように思います。自分自身にとっても,ここで扱った問題がよりアクチュアルなものに感じられるようになってきていますが,それはやはり不幸なことだいわざるをえません。
この本では,いかに国家はたくみに宗教を戦争や植民地支配へと動員していくか,そして宗教の側がどのように戦争という状況を取り込んで自己形成していくのか,しつこく追跡しています。反戦を唱えた人の事例を探し出して希望を垣間見ることもできたかもしれませんが,そうした英雄的な人物に救いを求めるよりも,戦争へと人びとの欲望を組織化するメカニズムを徹底して理解することが,まずは重要なのではないかと思ったからです。ただ,この本を仕上げる作業のなかで,総動員が遂行されていく只中から,いわば余白のように生まれる肯定的な可能性が微かにみえるような気もしてきました。それはこれからの自分の思想的な課題になると考えているところです。
今回いただいた賞を励みにして,自分なりに大切と思う研究を少しずつ進めていければと思っております。
こちらをご覧ください。
こちらをご覧ください。
『日本思想史学』第50号掲載論文の投稿を,下記の要領にて受け付けます。「投稿規程」に沿わない原稿は,査読の対象外とすることがありますので,規程を熟読のうえご投稿ください。多くの投稿をお待ちしています。
こちらをご覧ください。
2018年度大会は2018年10月13日(土)・14日(日)に神戸大学(兵庫県神戸市灘区)を会場として開催されます。
2017年10月28日(土)に開催された2017年度総会において,下記の事項が承認または決定されましたので,お知らせいたします。
(予算) | ||
会費 | 2,903,000 | 3,404,700 |
刊行物売上金 | 53,600 | 80,000 |
前年度繰越金 | 4,012,905 | 4,012,905 |
その他 | 26 | 0 |
計 | 6,969,531 | 7,497,605 |
(予算) | ||
大会開催費 | 500,000 | 500,000 |
学会誌発行費 | 1,082,920 | 1,200,000 |
通信連絡費 | 253,125 | 400,000 |
事務費 | 326,000 | 200,000 |
事務局費 | 377,500 | 400,000 |
HP管理費 | 59,699 | 80,000 |
電子レポジトリ化予算費 | 300,000 | 300,000 |
「思想史の対話」研究会開催費 | 101,165 | 100,000 |
委員会経費 | 234,820 | 350,000 |
幹事手当 | 360,000 | 360,000 |
予備費 | ― | 3,607,605 |
次年度繰越金 | 3,644,873 | - |
計 | 6,969,531 | 7,497,605 |
会費収入 | 3,393,700 |
刊行物売上金 | 80,000 |
前年度繰越金 | 3,644,873 |
その他 | 0 |
計 | 7,117,873 |
大会開催費 | 500,000 |
学会誌発行費 | 1,200,000 |
通信連絡費 | 350,000 |
事務費 | 150,000 |
事務局費 | 330,000 |
HP管理・電子レポジトリ化予算案 | 310,000 |
「思想史の対話」研究会開催費 | 100,000 |
委員会経費 | 350,000 |
幹事手当 | 600,000 |
予備費 | 3,227,873 |
計 | 7,117,873 |
会費納入状況は依然として芳しいとは言えません。学会の安定した持続のためにも、会費納入をよろしくお願いします。
会費を納入する際には、下記の口座番号にてお振り込み下さい(大会事務局は別口座になります、ご注意ください。)
(※注意:事務局移転に伴い、口座番号が変更となりました。旧口座はすでに閉鎖されており、2016年度以前に前事務局より発行されました振込用紙を用いての会費納入はできません。ご注意下さい。)
ゆうちょ銀行3年をこえて会費を滞納された方は、会則第4条に基づき、総務委員会の議をへて退会扱いとさせていただくことがあります。過去2年分の会費を滞納された方には 学会誌『日本思想史学』の最新号第49号(2016年度分)および諸種の案内をお送りしておりません。会費納入の確認後に送らせていただきます。 請求年度以降の会費をまとめて納入していただいても結構です。
※当会の会計年度は、10月1日〜9月30日となります。したがって、