今回の大会は呪われているのではないかと思いました。開催校の引受けを決断なさった学習院大学文学部日本語日本文学科の中村生雄先生が昨年永眠され、体制を立て直さなければと思っていた矢先、今年2011年3月には東日本大震災に見舞われ、復旧作業と余震で落ち着かない中、4月に今度は闘病中だった自分の父親を失いました。一連の後始末に追われるともう夏で、節電対策やら耐震工事やらもありました。何とか準備に着手しましたら、10月初めには研究室で事務を担当してもらっていた副手さんのお父様が急逝してしまいました。その間、学科の同僚の先生お二人にも同様の御不幸がありました。大会前には、司会をお願いしようとした先生の長期入院を知りました。
人の世の常とは申せ、泣きっ面に蜂の状態でしたが、そんな中でも、佐藤弘夫会長、また学会事務局(旧)の東北大学日本思想史研究室の皆さまからは、大小さまざまな御支援・御教示をたまわることができました。公開シンポジウムの企画は、大会委員会の桂島宣弘委員長をはじめとする先生方が全面的に組み上げてくださいましたので、私は会場の用意に専念することができました。本学日本語日本文学科に着任された赤坂憲雄先生には、大変お忙しい中、同じ大学とはいえ、見ず知らずの人間からのお願いにもかかわらず、シンポジウムのコメンテーターを御快諾いただきました。皆さま本当にどうも有難うございました。
学習院大学側で組織した大会実行委員会は、法学部政治学科の私などとともに、文学部哲学科の皆さまに御協力いただきました。特に哲学科助教の松波直弘さんは、別働部隊として、開催校企画の古書展観の準備を一手に引き受け、(お金をかけられないので)ほぼ手づくりで進める中、学生時代に演劇の大道具作りで培ったという異才を発揮してくださいました。この展示にあたっては、学習院大学図書館から、高埜利彦館長の御承認の下、前例のない御協力をたまわり、また学習院大学東洋文化研究所からも便宜を得、同所PD研究員の青木俊介さんから漢籍について専門の見地から御協力いただきました。皆さまのおかげで、ささやかながら有意義な展覧会ができたと考えております。
日光東照宮をあしらった本大会の広告や、古書展観で配布した特製クリアファイルなどのデザインは、大学院博士課程史学専攻で日本近代史を学ぶ長谷川怜さんによるものです。プロ並みの能力をご自分の専門と異なる学会のために惜しみなく提供してくださいました。
大会直前および当日に集中する業務は、政治学科の学生(ゼミ生)10名と大学院生4名が担当してくれました。全員が常に集まれたわけではなく、業務遂行に綱渡りでした。事前に収入の見通しがたたなかったため、彼らには薄給を覚悟してもらったのにもかかわらず、献身的にはたらいてくれました。結果的に、常識程度の謝礼をすることができ、人権を重んじるはずの法学部で奴隷労働させずに済みました。
このように多くの方々の御協力によりまして、私自身の数々の落ち度をお許しいただければ、大局的にとどこおりなく本年度大会を済ませることができたかと思われます。記録上、大会参加手続済の会員は176名(ただし当日欠席した6名を含む)、非会員は68名(ただしシンポジウムやパネル関係者7名、学習院関係者6名を含む)でした。
土曜の公開シンポジウムの資料は約180名分が会場で配布されました。会場の広さは許容範囲内(最大定員380名)と思われますが、ただ10月末で冷房が必要とは予想しておらず、事前に空調使用を契約しなかったため、窓の開放で対応せざるを得ませんでした。暑さや騒音が気になったようでしたら御免なさい。懇親会への参加はちょうど100名でした。日曜のパネル・個別発表については、形式的要件を満たす申請をすべて受理しましたものの、用意できる会場に限りがあり、またそれぞれに必要な部屋の規模を予測する難しさもありました。立ち見にならなかったのは幸いでしたが、部屋の広狭はありました。御寛恕ください。出版社の出店は、ぺりかん社、思文閣出版、汲古書院、勉誠出版の4社でした。
その他、大会運営について、やってみて初めてわかることがあり、また前もって困難が予測されてもあえて前例によったこともありました。ここではもはや紙幅がありませんので、今回の諸々の反省点は、後ほど会長・大会委員会へ報告し、御検討いただきたいと思います。
ただいま会計の残務処理中です。幸い余剰金を学会へお戻しできそうです。
今大会は「神」をめぐる議論が熱い。それがプログラムを見ての第一印象であった。シンポジウムといくつかのパネルで、「神」をめぐる言説が取り上げられていたからだ。また、このところ政治思想や近代思想の報告の多かった思想史学会で、久しぶりに古代から中世、近世の思想がテーマとなったと感じた。中近世を専門としている私としては、母校開催という以上の興味を持って大会当日を心待ちにする形となった。
第一日目。「カミになる王―思想史の観点から」と題されたシンポジウムでは、松本育代氏による密教的世界観の中に再定位される「天皇の身体」論、曽根原理氏の秀吉・家康の神格化と「徳川王権」の成立論、そして前田勉氏による垂加神道の「ヒトガミ」と天皇論という、いずれも大変示唆に富む報告がなされた。ただ、私にとって衝撃であったのは、コメンテーターによる「思想史」という方法への問題提起である。「思想史の視点から」という副題をつけたシンポジウムに、宗教学、民俗学の専門家をコメンテーターとして招いた点からみて、これは当初より意図されていた「仕掛け」であるとみてよい。仕掛け通りというのは悔しいが、あらためて「思想史」という方法の限界と意義を考えさせられた。
第二日目は、パネルセッションをめぐって歩いた。思想史学会でパネルが5本もたったのは、私の知る限りでは初めてである。私見をいえば、パネルを聞くのは学会参加の醍醐味の一つである。今回は私自身もパネルで報告させていただいたので手前みそになってしまうが、個別の発表もさることながら、それぞれの研究者が個々に積み上げてきた研究を前提に、近接する領域の研究者の報告を一度に堪能できるのは、学会ならではのことと思う。パネルを企画したコーディネーターの熱のこもった趣旨説明によって、パネルのテーマの背景にある固有領域の最先端の研究動向について学ぶところも多い。今後も多くのパネルが立ってほしいものと思う。
文字どおり、名ばかりの事務局長で、退任にあたってといっても、格別とやかく申し上げるべきことはありません。実務を滞りなく、誠実に勤め上げられた前幹事の大川真さん、後任の冨樫進さん、そして前事務局長の佐藤弘夫現会長、また不慣れな事務局を暖かくサポートしてくださった諸会員の皆さまに、心よりの感謝を申し上げたいと思います。
わたしが事務局長に就任してから、なんといっても大きな事件は、3月11日の東日本大震災でした。事務局の置かれている研究室は、一時壊滅的な状態となりましたが、幹事の大川さん・冨樫さんを初めとする事務局スタッフの献身的な活動により、ほぼ大過なく事務局の運営を復旧することができました。またその間、会員の皆さまから多くの物質的・精神的なご支援を受け、それが大きな励みになりましたことを、ここにご報告し、改めて感謝申し上げます。
震災からすでに8ヶ月が過ぎました。被災地から瓦礫はかなり姿を消しましたが、その傷痕の深さは、震災直後から、まだそれほど大きくは変わっていません。原発事故の被害を考えれば、その深さがどれくらいの深さなのか、まだ誰にもわかっていないといってよいでしょう。
今は誰もが、目の前の立ち向かわなければならない課題に汲々としており、このたびの震災がどのような意味をもっているのか、わたしたちは結局なにを失ったのか、なにを元にもどし、なにを新たに始めなければならないのか、つまりわたしたちにはなにが求められているのかが見えていません。
したがって、事務局も通常の業務の復旧で精一杯で、この震災の傷痕の深さを見詰めて、事務局なりに今後このような展望にもとづき運営していきたいとの見通しを示せないまま、バトンタッチすることとなりました。事務局長としての責任を十分に果たせなかったことをお詫びすると同時に、新たな事務局でバトンを受け継いでいただき、われわれが達せなかった課題を、ぜひ一歩でも二歩でも前進させていただけることを、お願い申し上げる次第です。
会員数の増加もいいでしょう。研究の緻密化も国際化も、喫緊の課題です。しかし、わたしたちに何が求められているか、そこから目をそむけることのできる避難場所として集まってくる人数がどれだけ増えても、そこでどれくらいマニアックな研究をしても、国内的な論理を一片も見直すきっかけともならない国際交流をいくら繰りかえしても、その行き着く先は結局、原子力村に象徴される排他的利益集団にすぎないのではないでしょうか。
その無効さと、それにも関わらないその根強さが、今回の震災によって明らかになりました。わたしたちの学会は、創設以来の諸先輩方のご努力、多様な専門を横断する学問構成、それらをつなぐ力量をもった個々の会員の自立性、また予算規模の小ささなども幸いして、まだそのような集団にはなっていません。しかし、時代の流れとともに、少しずつそうした方向への傾斜も見られるようになってきたように杞憂します。
排他的利益集団とまではいかなくても、烏合の衆にならないような、これから次第に明らかになってくる、わたしたちに求められているもの、それを敏感に嗅ぎとり、思想史研究の力で、その課題に立ち向かっていこうとする若い人が、この学会に集まることに躊躇を感じさせない、そうした学会の展開をサポートする新たな事務局運営を、どうか実現していただけることを祈っております。
自分自身のことは棚上げにして、僭越な内容に渉りました。最初に申し上げたように、事務局の実務は、わたし以外の会員の皆さまの献身によって行われました。そうした重い荷を背負った、目につきにくい努力の上に、最後にこのような勝手な発言の機を得ることもできています。深い反省とお詫びを、皆さまにお伝えいたします。
このたび事務局をお引き受けすることになりました同志社大学の沖田行司です。日本思想史学会の会員になってから35年近くなりますが、その間、大会と事務局をそれぞれ一回ずつ経験してきました。前回に事務局をお引き受けしたときの事務局長は笠井昌昭先生で、私が幹事役を務めました。当時は学会の規模もさほど大きくはなかったためか、それほど大変だったという記憶はありません。大過なく無事任務を終えられたのは、偏に笠井先生の采配によるところが大きかったと思います。そのころと比べると、大会や学会機関誌も充実し、規模もかなり大きくなっています。しかし、学会組織自体の改良や運営にも工夫が加えられ、大会運営委員会や編集委員会など、分担作業体制が確立し、事務局の負担もそれなりに軽減されています。還暦を越え、体力的にも衰えが出始めています。歴代の事務局長が有能であっただけに、お役を無事務め上げることができるかどうか、いささか憂鬱で不安な日々を送っています。
幸いにも、優秀な幹事がいてくれるので、頼るしかありません。色々とアドバイスをいただきながら、学会の運営に貢献したいと考えています。どうぞ宜しくお願いいたします。
第5回日本思想史学会奨励賞は、例年通り、ニューズレターおよびホームページを通じて公募を行った。応募は単行本著作1点、論文著作1点の計2点であった。それに学会誌『日本思想史学』第42号掲載論文で資格規定を満たした論文のなかから、同誌編集委員長の推薦になる論文著作2点を加えて、合計4点を対象に選考を行った。
選考委員による査読結果にもとづいて第一段審査を行い、その結果にもとづいて、委員全員で慎重に審査を行った結果、全会一致で、上記著作への授賞が決定された。
本論文は、近代日本における「漢文」意識の変容を、日清戦争を契機に高揚するナショナリズムとの相関を軸に、植民地下台湾に赴いた日本の漢詩人たちの具体的場面から、多層的に描き出した、意欲的な研究業績である。
近年、「国語」の成立、新たな「訓読文体」出現の意味について、「古典中国」に由来する「漢文教養」が、いかに近代日本の自己意識形成にかかわったか、等々について多くの議論が展開されてきたが、本論文は、そうした研究領域に新たな視野を拓くものである。
本論文は、日清戦争後における「漢文」意識変容・変質の問題を、当時の日本知識人たちが「漢文」に託した、「実体化」と「機能化」という二つの課題において把握し、植民地台湾(本来漢文世界)における、日本人漢詩作者の詩作場面で、この両課題の追求・実践がいかに内部混乱をきたし、論理矛盾をもたらしたかを、まさしく思想史の問題として分析的に明らかにしている。
鮮明な問題把握とその視野の先駆性、明確な手法と具体的場面における着実な論証において、本学会奨励賞にふさわしい業績であると判断される。
このたびは、貴重な賞を賜り誠にありがとうございます。一外国人研究者として、今回の受賞は大変光栄なことで、大変うれしく思います。選考委員の皆様をはじめ、名古屋大学で博士論文執筆期間中に多大なご指導をいただいた前野佳彦先生、前野みち子先生に御礼を申し上げます。お二人のご指導と励ましをいただかなければ、この論文がこのようにまとまらなかったでしょう。
拙稿「文体と国体の狭間で―日清戦争後の漢詩文意識の一端」は、日清戦争後、清朝中国との連帯意識の逆転を背景にして、日本国内と植民地台湾で活発化する漢詩文活動の社会的意義を解明して試みたものです。明治以来の漢語漢文の〈実体化−機能化〉の変動過程を析出すると共に、国威宣伝のために植民地台湾に渡ってきた日本人漢詩人の創作意識を例に取り、「漢詩文」という類型の伝統的規範性に内包される審美的側面と政経的側面の二重構造がかえって漢詩文再興という現象自体を複雑化するという結論に至りました。
けれども、この論文が出来上がるまで、紆余曲折でした。幾度となく行き詰まっては、また書き直し、これを繰り返す度に諦めようかと考えたこともありました。そのような中で、一つの指針を見出しました。それは近代国民国家体制の整備に伴って、文体をめぐる文学的意識とナショナル・アイデンティティーが同調しているようにみえながら、時々かみ合わない現象も起きていたことです。この指針が最終的結論に導いたといえます。このことを通して、どんなことが起こったとしても、最後まで諦めずに努力し続けることの意義を知り、また非常に貴重な体験をさせていただきました。
名古屋大学に留学していた長い間に、多くの先生方の暖かいご指導に恵まれました。心より感謝いたします。今後は植民地研究の立場から、東アジアにおける前近代的な知識体系と近代国民国家体制の連鎖関係を引き続き研究していきたいと思います。
こちらをご覧ください。
こちらをご覧ください。
『日本思想史学』第44号掲載論文の投稿を、下記の要領にて受け付けます。多くの投稿をお待ちしています。
こちらをご覧ください。
2012年度大会は2012年10月27日(土)・28日(日)に愛媛大学(愛媛)を会場として開催されます。
大会シンポジウムの内容、パネルディスカッション・個別発表の受付等については、ニューズレター夏季号(7月発行予定)でお知らせするとともに、会員の皆さまには郵便にて直接ご案内申し上げます。
10月29日に開催された2011年度総会において、下記の事項が承認または決定されましたので、お知らせいたします。
(予算) | ||
会費 | 2,642,994 | 2,857,500 |
刊行物売上金 | 77,190 | 80,000 |
前年度繰越金 | 3,215,880 | 3,215,880 |
その他 | 332 | 0 |
計 | 5,936,396 | 6,153,380 |
(予算) | ||
大会開催費 | 400,000 | 400,000 |
学会誌発行費 | 1,028,370 | 1,200,000 |
通信連絡費 | 186,398 | 400,000 |
事務費 | 140,130 | 300,000 |
事務局費 | 353,500 | 400,000 |
HP管理費 | 50,000 | 50,000 |
委員会経費 | 300,715 | 350,000 |
名簿印刷製本費 | 240,950 | 350,000 |
予備費 | - | 2,953,380 |
次年度繰越金 | 3,477,283 | - |
計 | 5,936,396 | 6,153,380 |
会費収入 | 3,015,000 |
刊行物売上金 | 80,000 |
前年度繰越金 | 3,477,283 |
その他 | 0 |
計 | 6,572,283 |
大会開催費 | 400,000 |
学会誌発行費 | 1,200,000 |
通信連絡費 | 400,000 |
事務費 | 300,000 |
事務局費 | 400,000 |
HP管理費 | 150,000 |
委員会経費 | 350,000 |
予備費 | 3,372,283 |
計 | 6,572,283 |
当会ホームページの「会員研究業績紹介」欄に載せる会員諸氏の研究業績を、学会事務局までE-mail、或いは葉書でお知らせください。その際、著者名(ふりがな)、論文・著書名、掲載誌(号数)、発行所、刊行年月をご明記願います。
会費納入状況は依然として芳しいとは言えません。学会の安定した持続のためにも、会費納入をよろしくお願いします。会費を納入する際には、同封した振込用紙をお使いください(大会事務局は別口座になります・ご注意ください)。なお紛失した場合は、下記の口座番号にてお振り込み下さい。
3年をこえて会費を滞納された方は会則第四条に基づき、総務委員会の議をへて退会扱いとさせていただくことがあります。過去2年分の会費を滞納された方には 学会誌『日本思想史学』の最新号第43号(2010年度分)および諸種の案内をお送りしておりません。会費納入の確認後に送らせていただきます。
なお請求年度以降の会費をまとめて納入していただいても結構です。