第18回日本思想史学会奨励賞授賞について


※第18回日本思想史学会奨励賞の受賞者が決定しましたので、下記のとおり公表します。
2024年度大会の総会においてあらためて発表されます(奨励賞選考規程第7条)。

第18回日本思想史学会奨励賞授賞について―選考経過と選考理由―(奨励賞選考委員会)

[第18回日本思想史学会奨励賞受賞作品]

【論文部門】 【書籍部門】

[選考経過]

第18回日本思想史学会奨励賞は、例年どおり、ニューズレターおよびホームページを通じて公募した。それに学会誌『日本思想史学』第55号掲載の投稿論文で奨励賞の資格を満たしたものを加え(選考規程第5条)、それらを【論文部門】と【書籍部門】とに分けて選考を行った。

選考委員全員で慎重に審査を行った結果,全会一致で,上記の作品への授賞が決定した。

[「平田篤胤と薩摩―「天皇のもとつ御国」をめぐる顕と幽―」選考理由]

近年、篤胤研究が活況を呈している。こうした中で、本論文は、篤胤が「天皇のもとつ御国」と述べる薩摩との繋がりに着目し、政治史的側面である「顕」とコスモロジー的側面である「幽」との統合を試みる。「顕」の面では、対外的な危機感や外国事物への関心を背景にして、篤胤が、薩摩藩の要人、とりわけ小納戸頭取の吉井七太夫と懇意にしていた事実を明らかにしている。そして「幽」の面では、天孫降臨神話に関わる霧島の神仙について、篤胤の求めに応じて八田知紀が書いた『霧島山幽郷真語』を取り上げ、篤胤の玄学研究の痕跡を指摘する。こうした篤胤の「幽」は近代の神道政策に連なる性質を持ちつつも、そこから逸脱する方向性も内包していると指摘している。本論文は「近世神話」と評される篤胤のコスモロジー研究に、政治史的動向を取り入れて新たな境地を切り開こうとする意欲的な作品であり、授賞に値する作品であると言えよう。

[「「理」と「風俗」の間―徳川末期における中村正直の思想展開―」選考理由]

中村正直に関しては、西洋近代文明の受容史、また儒教の普遍性と近代の対話などの観点から、従来すぐれた研究が著されてきたが、本論文は、特にその留学までの前期の思想をとりあげて新機軸をうちだした一篇である。幕末の時代状況の文脈をふまえつつ、これまでの研究で捨象されてきた、西洋近代と接触した時に中村が感じた動揺、危機感、不安などをくみとり、その思想の変化や形成過程を解明した。

本論文によると、当初「理直」の理想主義的政治観を信じていた中村は、アロー戦争の現実から衝撃を受け、「理」よりも富国強兵よりもむしろ「風俗」の差異に着目し、西洋のそれの探求に向かう。懐疑して一旦「理」から離れたことで、西洋の富強の背景に優れた「風俗」が存在することを虚心に理解でき、その上で新たな「理」にたどり着くというわけである。一人の「英主」による「教化」に期待するのでなく、「衆人の智力」の向上を説くようにもなる。そのような論旨は、幕末維新の思想史のための発展的な論点を含み、また今日の異文化理解への含意もある。授賞に値する作品であると言えよう。

[『医学と儒学―近世東アジアの医の交流―』選考理由]

近世日本の古方派医学系医家の評価は、漢代後期『傷寒論』の受容史に、他方、医学思想史の文脈からも西洋自然科学及び近代医学との距離がはかられ、「復古」思想として限定的にとらえられてきた。これに対し本書は、丹念なテキスト分析を通じて近世日本の医学思想・本草学思想を近世儒学思想史の文脈に位置付けるとともに、医家と儒学者との明代・清代中国につながる人的知的ネットワークと系譜に踏み込み、東アジア医学思想史・交流史研究の可能性を示した。他、麻疹や痘瘡など、医家が実際の治療現場から『傷寒論』テキストに取り組みその思想形成をはかるなど社会史的な手法を取り入れて行論を進めた点、「巻末付録 関連略年表」や文中の中国書引用書目や典拠古典文献一覧、『傷寒論』に関わる明清からの渡来書目目録なども高く評価できよう。近世儒学思想史研究に医学思想史という新たな発展をもたらす研究として本作は授賞に値する作品である。


※ 受賞者の所感は,ニューズレター第41号(冬季号)に掲載される予定です。

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