第17回日本思想史学会奨励賞授賞について


※第17回日本思想史学会奨励賞が決定しましたので、下記のとおり公表します。
2023年度大会の総会においてあらためて発表されます(奨励賞選考規程第7条)。

第17回日本思想史学会奨励賞授賞について―選考経過と選考理由―(奨励賞選考委員会)

[第17回日本思想史学会奨励賞受賞作品]

【論文部門】 【書籍部門】

[選考経過]

第17回日本思想史学会奨励賞は、例年どおり、ニューズレターおよびホームページを通じて公募した。それに学会誌『日本思想史学』第54号掲載の投稿論文で奨励賞の資格を満たしたものを加え(選考規程第5条)、それらを【論文部門】と【書籍部門】とに分けて選考を行った。

選考委員全員で慎重に審査を行った結果,全会一致で,上記の作品への授賞が決定した。

[「「除奸」と「殉難」の間――水戸学者・豊田天功と吉田松陰における楊継盛受容――」選考理由]

激変する幕末の政治史において、志士たちは、和漢の忠臣たちの言動に自らの行動規範や針路を見いだそうとした。浅見絅斎『靖献遺言』や「和文天祥正気歌」こと藤田東湖「正気歌」が人口に膾炙していく。本論文では、ほとんど先行研究の無い、楊継盛(椒山)に対する豊田天功の評価を、吉田松陰による評価と比較して詳細に分析している。吉田松陰らは楊継盛の「殉難」を高く評価するが、豊田天功による評価には、「殉難」と「除奸」との間に緊張関係が見られ、政敵・結城朝道の悪事を後世に伝えるために、「殉難」ではなく「除奸」に力点を置いた評価をする。激動の水戸藩の政治史と緻密に関連させて、楊継盛受容を論じる力量は卓越しており、自らの政治的主張の正しさを証明しようとして、旺盛な情報収集を豊田天功が行った可能性も指摘している。幕末思想史研究に新たな発展をもたらす研究として授賞に値する作品と言えよう。

[「平田篤胤の語る大和魂――理想的心性における雅と武の統合――」選考理由]

近年の篤胤研究は、彼の思想における霊魂や幽冥の問題に関心を向けてきた。それに対し、本論文は、彼の思想において大和魂が持つ意味に注目することにより、現実世界における倫理の問題を中心に据える。篤胤が、その講釈において大和魂を語る際には、外患の原因たる西洋に優越する日本の武強さが強調された。ここには、「雅」という価値を神話に見出し自らの理想とした本居宣長との差異があるが、篤胤はたんに「雅」を「武」に置き換えたのではなく、天岩戸神話におけるアメノウズメの役割を再解釈することにより「雅」と「武」を統合したのであることが指摘される。アメノウズメの舞が神々の笑いを引き起こすさまに「雅」の原型を捉える篤胤は、大和魂を、身近な人間関係を調和する「雅」と外敵に対峙する「武」を統合した理想的心性として当時の聴衆に講じたとする本論文の論点は説得的である。聴衆の側の問題にも留意しつつ以上のように篤胤の講釈を分析する本論文は、化政期以降の思想史研究に当該期における思想と社会の関係にも留意しつつ新たな展望を拓く業績として授賞に値する作品であると言えよう。

[『大和心と正名――本居宣長の学問観と古代観』選考理由]

本居宣長をめぐる近世思想史研究は豊富な研究蓄積が積み重ねられ、多様な論点を提起してきた。特に90年代ではいわゆる構築主義的な観点での研究が多く登場し、宣長の日本主義と脱中華思想との連続性が強調され、「漢意」批判として文字文化論が強調された。

これに対し本書は、『論語』子路篇に由来し、江戸期儒者たちが多く言及した「正名」への着眼を通じ、新たな宣長研究の試みという切り口を説得的に展開している。第一部「本居宣長の孔子観と「正名」」では、玉勝間第九三条の再解釈によって、儒学批判と孔子への高い評価が並存することを見出し、その思想構造として、宣長の孔子観が学統をめぐる思索と関わっていると指摘する。江戸時代において、「漢意」としての文字や書物を学問の対象とせざるをえないという宣長の知的環境及び抗いこそが、新たな思想の模索を生み出すという観点は、新たな方法的知見だろう。第二部「『古事記伝』における「名」の注釈」では「正名」をめぐる言説との関係を通じ、宣長の描いた古代観を『古事記伝』の読みに即してその古代観へと問いを広げてみせた。

クロスカルチュラルな主題設定は、宣長の孔子観の問題や『古事記伝』における「名」の問題を分析対象とする行論によって説得的に展開される。本書は宣長像の読み直しを迫るとともに、膨大な研究蓄積をふまえた労作でもある。近世思想史研究全体にもさまざま示唆を与える著作という点でも授賞作品にふさわしいものといえるだろう。


※ 受賞者の所感は,ニューズレター第39号(冬季号)に掲載される予定です。

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