第15回日本思想史学会奨励賞授賞について


※第15回日本思想史学会奨励賞が決定しましたので,下記のとおり公表します。 オンラインで開催される予定の2021年度大会の総会においてあらためて発表されます(奨励賞選考規程第7条)。

第15回日本思想史学会奨励賞授賞について―選考経過と選考理由―(奨励賞選考委員会)

[第15回日本思想史学会奨励賞受賞作品]

【論文部門】 【書籍部門】

[選考経過]

第15回日本思想史学会奨励賞は,例年どおり,ニューズレターおよびホームページを通じて公募した。それに学会誌『日本思想史学』第52号掲載の投稿論文で奨励賞の資格を満たしたものを加え(選考規程第5条),それらを【論文部門】と【書籍部門】とに分けて選考を行った。

選考委員全員で慎重に審査を行った結果,全会一致で,上記の作品への授賞が決定した。

[「近代神道史のなかの「神道私見論争」―― 国民的「神道」論の出現」選考理由]

本論文は,柳田國男「神道私見」の発表をきっかけに,1918年,柳田と河野省三との間で起こった論争に関して,新たな分析と位置づけを行ったものである。従来,この論争は柳田民俗学の形成史のなかで理解されてきたが,近代の神道史の文脈に照らしながら再解釈を行うところに,渡氏の独自の発想がある。その視座に基づいて第一に,柳田・河野の両者がともに,明治政府による「神社非宗教論」を前提としながら,神社神道について,「国民生活」と結びついたものとしての新たな意味づけを試みたことを明らかにした。そして第二に,柳田が論争を通じて,河野や神職たちと異なる「国民」像を提起したことを指摘し,近世国学との関連を展望した。以上の二点において,本論文は奨励賞にふさわしいすぐれた業績である。

[『「ぞめき」の時空間と如来教 ―― 近世後期の救済論的転回』選考理由]

本書は,19世紀初頭の名古屋で始まった如来教の歴史的な展開と意義を明らかにすることを通じて,民衆宗教研究に新たな可能性を提示した。名古屋の都市空間,他の信仰との共存という環境のなかに如来教を位置づけて分析し,近世宗教史・思想史との連関を解明することに成功している。

そこで明らかになるのは,近世後期の宗派仏教・民俗宗教(秋葉講など)・民俗信仰と如来教が,同じ救済論の課題を共有しながら登場してきた過程である。そこでは「つとめの方法への問い」に関して,身体実践から心の状態へと,重点の変化が宗教の違いをこえて進んでいた。近年の近世仏教史,宗教社会史,身分的周縁論などの成果を広くとりいれることで,近世・近代移行期の思想史像の再構築をも展望した,すぐれた著作と評価できる。

[『躍動する「国体」―― 筧克彦の思想と活動』選考理由]

大正期から昭和戦前期にかけて国体論者として活躍した憲法学者,筧克彦に関して,その生涯と著作を包括的に検討した,現在の研究の到達点を示す力作である。著者は,筧の提唱した国体論・「古神道」論が,大正期のデモクラシーの進展に対抗するために,仏教研究への沈潜をへて国体論に宗教を導入することで,国家を「共感の共同体」として再構成しようとする試みであったと位置づける。

思想形成の内在的な分析に加えて,さらに筧の実践活動についても綿密に調査したところに本書の特色がある。皇族や政治家への働きかけとともに,「やまとばたらき」と呼ばれる体操や,御誓文を刻んだ「誓の御柱」の建設運動など,大衆にむけた普及活動,さらに神社行政・植民地政策との関わりを明らかにした。当時における思想と社会との関係について,多方面からの検討を重ねた分厚い思想史叙述と言える。

[『儒教儀礼と近世日本社会 ―― 闇斎学派の『家礼』実践』選考理由]

近世日本社会と儒学との関係について,従来の研究では,科挙が行われないため儒者は身分的周縁にとどまり,儒礼も普及していなかったことが強調されてきた。しかしその状況下で朱熹の『家礼』に旺盛な関心を示し,その喪祭礼を実践しようとした,浅見絅斎や蟹養斎といった山崎闇斎学派の儒者たちに本書は焦点をあて,未公刊の写本を含む多くの史料を手際よく利用しながら,その実践の詳細と意味を明らかにした。

著者の研究によれば,社会に儒教的な制度が存在しなかったからこそ,この儒者たちはむしろ,みずからがなし得る社会改良と,身分表示の手段として,熱心に『家礼』を実践しようとしたのだった。また,『家礼』の実践をめぐる彼らの構想は,日本の状況への追随ではなく,朱熹の議論を吟味しながら,仏教との部分的な共存をめざすものであった。こうした諸点を明らかにし,さらに「東アジア思想史」への広がりを示した,すぐれた研究である。


※ 受賞者の所感は,ニューズレター第35号(冬季号)に掲載される予定です。

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